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2015.04.23 Thursday

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    死について。(エコノミークラス症候群/急性肺塞栓症/Pulmonary embolism:PE)

    2012.09.29 Saturday

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      死について。

      今回、お墓参りに行ってきました。パリ・セーヌ川にあるノートルダム寺院のすぐ下流、橋を渡って公園に入り、観光客はまず訪れることのない場所。といっても、その方のお墓はないのです。散骨されました。散骨したのは、僕の命の恩人、エドワードとエルベ、ニコラです。

      いつかはみな死を迎えます。2011年、僕は死ぬときではなかったようです。どんなルールがあるのかはわかりませんが、まだ生きています。生きていることはあたりまえのようで、生きている(今、これを書いていること)が特別で
      奇跡的な出来事であると思うのです。

      さかのぼること5年前、テキサス大学の教授だったボブさんはお亡くなりになりました。私と同じ症状(エコノミークラス症候群/急性肺塞栓症/Pulmonary embolism:PE)です。彼の場合は、血栓が脳にまで達してしまいました。手の施しようがなかった。

      2011年4月8日夜パリ、エドワードとエルベが僕を助けてくれたのはボブさんの記憶があったからでした。症状(エコノミークラス症候群/急性肺塞栓症/Pulmonary embolism:PE)が同じとわかるとすぐ救急車を呼んでくれました。

      ボブさんは人と人をつなぐのが大好きな方だったそうです。サングラスをかけた写真しかみていないのですが、本当に笑顔のすてきな方だったそうです。

      ボブさんが亡くなったその直前、呼吸困難が収まって、血栓が心臓を通って脳に達する、頭を抱え込んで動けなくなる前の最後の言葉は「みんな、そこのウィスキー飲んで。」だったそうです。ボブさんの最後の言葉。

      パリに来ると、毎日パーティをしていたそうです。最後まで、みんなを楽しませようとしていたそうです。

      僕が生きているということは、ボブさんが人々の記憶から消えないということ。つまり、誰かの心の中で生きている。死を考えるということは、毎日をどのように生きるかと同じ意味だと思うのです。ボブさんはこの世でもっと生きていたかったのだと思うのです。

      人生は一度きりかもしれない。(キリスト教的だと一度ですが、仏教的だと49日後には生まれ変わります。)やりたいことがあるのならやったら良いと思うのです。